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大津地方裁判所 昭和44年(ワ)141号 判決 1975年8月27日

原告 堀川泰蔵 ほか一名

被告 国 ほか一名

訴訟代理人 岡準三 谷旭 ほか五名

主文

1  被告ら各自は、原告ら各自に対し、それぞれ金六一四万六、八三三円と内金五三九万六、八三三円に対する昭和四四年八月一三日から支払ずみまで年五分の割合による金員を支払え。

2  原告らのその余の請求をいずれも棄却する。

3  訴訟費用はこれを二〇分し、その一を原告らの、その余を被告らの負担とする。

4  この判決は1項に限り、仮に執行することができる。

事  実 〈省略〉

理由

一  当事者の地位

請求原因1項の事実は当事者間に争いがない。

二  事故の発生

同2項(一)(二)の各事実も当事者間に争いがない。

三  被告反田の過失の存否について

原告らは本件事故(亡勝美の死亡)は、被告反田の過失に起因すると主張するが、前掲原、被告双方の主張に徴し、その点の判断には、先ず本件シヨツクが原告ら主張の全脊麻であるのか、被告ら主張のアナフラキシーシヨツクであるかが、重要な前提問題であるので、本項では、先ず第1項においてこの前提問題を本件事故前後の経過と病院における措置、亡勝美の解剖所見、全脊麻とアナフラキシーシヨツクの発生原因および両者の一般的症例等の比較考察の下にこれを把握し、次いで第2項において、第1項で認定されたシヨツクの種類についてその一般的な事前および事後の事故発生防止措置を認定し、最後に第3項で被告反田の措置にこれに悖るものがあつたか否かを検討することとする。

1  本件シヨツクの原因について-全脊麻か、アナフラキシー

シヨツクか-

(一)  本件事故前後の経過と八日市病院における措置等

前記二の争いのない事実に〈証拠省略〉を総合すると次の事実が認められる。

(1) 亡勝美は、昭和四二年九月二七日、自動車の助手席に同乗していた際、ダンプカーに追突され、翌日頃から頸部に痙痛があつていわゆる鞭打症の症状を呈したため、同日八日市病院に入院し、頸部牽引等の治療を受け、約一ケ月後退院し仕事に就いたが、未だ項部痛、左肩から左腕にかけての疼痛、冷感等があつたため、昭和四三年一二月一九日再度同病院に入院し、被告反田が主治医となつた。

(2) 同被告は、右症状をしつこい鞭打症と診断のうえ、その治療としてグリソン氏係蹄による頸椎持続牽引、カラー型装具装甲、薬物療法をした他、週一回位の割で一%キシロカイン五ないし一〇CCによる左側星状神経節ブロツク療法を一一回位、圧痛点に対する肩甲状神経ブロツク等のキシロカインの局所麻酔等の治療を施した結果、同女の疼痛も消え、その症状は一応緩解したと思われたので、昭和四四年三月一一日退院した。

(3) 亡勝美は退院後、同年(以下同じ)五月六日から株式会社名神八日市カントリー倶楽部でキヤデイーとして働くようになつたが六月五日頃から再び左上下肢の疼痛、痺れ、冷感等があつたため同月一六日被告反田の診察を受けた。同被告はこれまでの二度の入院治療、ことに二度目の時は同被告においてあらゆる手を尽くし、一応緩解したと思われたに拘らずなお右のような症状があることから、その根治の必要を認め同月二三日三度目の入院をさせ引き続き主治医としてその治療に当つた。

(4) 同被告は、右のような事情からその治療にあたり、従前のグリソン氏係蹄による頸部の牽引、薬物療法の他、新しい試みとしてキシロカインによる頸部硬膜外麻酔注射によるブロツクおよびステロイドホルモンの注入療法を試みることとし、

六月二七日 一%キシロカイン一〇CC+生食水一〇CC+リンデロン二・五mg

同月三〇日 一%キシロカイン一〇CC+生食水一〇CCと二度にわたり、亡勝美の第五、第六頸椎間から注射針を刺入してその頸部硬膜外腔にそれぞれ右各混和液を注入し、その後七月三日と九日にキシロカイン二ないし三CCの局所麻酔も施した。

右二回の硬膜外麻酔注射には、本件注射の場合と同様いずれも同病院の手術室において行なわれ、注射針はルンバール針が用いられた。

(5) そして七月一〇日、同病院手術室において、看護婦長東郷四支枝、看護婦大塚美代子、同辻村トミ子の立会のもとで、被告反田によつて亡勝美に対する三回目の頸部硬膜外麻酔およびステロイドホルモン注入療法が行なわれた。亡勝美は、午後二時頃、手術室に入つて上半身裸になつたうえ、手術台の上で、棘靱帯の間をできるだけ広げて注射がし易い様にするため左側下にして、背中を丸くし、首と足を前屈して海老のような姿勢で横たわり辻村看護婦は亡勝美の頭部を、大塚看護婦は亡勝美の前からその頭と足を、それぞれ押えてその姿勢を固定させ、被告反田は亡勝美の首の後側に立ち、東郷婦長は亡勝美の腰部附近について同被告の介添をした。

(6) 被告反田は右施術にあたり、前二回の場合と同様、注射液の入つていない注射器のルンバール針の針先を第六棘突起の先端付近から左側一糎付近に刺入して一旦第六頸椎の椎板に当てて距離を確認したうえ、皮下組織まで針を戻し、これに空気三CC位を入れた空の注射器をつけ、骨と骨との間を狙つて硬膜外腔に向け、注射器を圧つしながら徐々に針を進め、針先が硬膜外腔に入つたことを、そこが陰圧になつているため注射器筒内の空気が抵抗なく入るその感触によつて確かめ、且つ血液、髄液の逆流のないことを確認したうえ、針をそのままにして空の注射器を、予め準備しておいた一%キシロカイン一〇CC+生食水五CC+リンデロン二・五mgの混和液の入つた注射器に取り替え、試験的に注入することはせず、直ちに、しかし静かに且つ徐々に右混和液を注入した。

(7) ところが、亡勝美は右注射終了後(針が抜かれると)すぐに「息がしにくくなつた」と訴え、更に少し間を置いてもう一度「息苦しい」と訴えた後、顔面蒼白となつて意識不明となり、手足がだらりとなつて上体が崩れ脱力感を呈した。その間約一分間位の間の出来事であつた。これに対して、

(イ) 被告反田は、その間暫くその様子を見ていたが、亡勝美の右状態をみて枕をのべ同女を仰向けにしたうえ、左橈骨部で脈を見たが触れず、続いて名前を呼んだり顔を叩いたりしたが反応がなく、聴診器を当てた所呼吸音なく、かすかな心音のみを確認した。そしてその頃辻村看護婦から血圧がないとの報告を受けてカルニゲンの注射を指示し、その後東郷婦長が酸素マスクを運び寄せたので、これと共に亡勝美に固定し、自からそのバツク操作を開始し、その後暫らくしてから再度聴診器を当てたところ、既に心音も聞えなかつたため、右バツク操作もそこそこに、同女の左側(心臓)の方に回り心臓マツサージを始めたが、右ベツトの高さは九〇糎位で、一方同被告は身長が低いため力が入れにくく心臓マツサージはやりにくい状態にあつた。そして、その後後記石川医師が右病室にかけつける直前頃に辻村看護婦が手術室のホールの方に置いてあつた高さ三〇糎位の足台を持つて来たので、同被告はその上に乗つて心臓マツサージを続けた。

(ロ) 一方東郷婦長は、本件注射終了後後片付けの為少し離れた所に移動していたが、亡勝美の異常に気づきその顔色を見たところ既に蒼白となつて脱力感を呈していたため、大変と思い、すぐ酸素を、と判断し、「血圧は」と言いながら同手術室に常備の酸素麻酔器の準備をしたうえ、前記のように被告反田と共に、亡勝美の口に酸素マスクを固定させ、その後のバツク操作は同被告に任せ、更にその様な同女の症状からみて直ちに気管内チユーブ挿管による人工呼吸法が必要であると判断し、同病院外科医長石川威に応援を求めるべく、被告反田にも「石川先生を呼びましようか」と断わつた上、手術室隣の材料室に行きそこの電話から同医師に連絡をとつて手術室に戻り、その準備をしていた。なお、この間手術室の看護婦詰所に通じているインターホーンから看護婦の応援も求めている。

(ハ) 辻村、大塚両看護婦は共に終始手術室にいたが、辻村は自己の判断で血圧計を取つてきて亡勝美の血圧を計つたが零だつた為その旨被告反田に報告し、その指示によつてカルニゲン二CCの注射をしている。

(8) 間もなく前記石川医師が右東郷婦長の連絡を受けて手術室にかけつけたが、同医師は、同室にかけつけるや、亡勝美の脈搏、顔色を見たうえ、被告反田が心臓マツサージを続けているので、自分は直ちに同女の気管内にチユープを挿入してこれを前記酸素麻酔器につなぎ、酸素を送るためのバツク操作を行なう一方、同室にいた看護婦らに指示して、左右両足の内?部の静脈を切開して輸血、点滴をすると共に、副腎皮質ホルモン等蘇生の為必要た各種の注射を行なつた。

(9) 石川医師が右のようた措置を採り終えた前後頃、亡勝美の心臓は動き始め、その頃取り寄せられた心電図にもそれが現われる様になり、やがてその鼓動も正常になり、自発呼吸も出てきた。しかし意識は回復せず、それから数時間を経た同日の夕刻頃になり、亡勝美は急に激しい全身痙攣を起こし、一時的に注射でこれを止めても薬が切れるとまた痙攣を繰り返えす状態が、翌七月一一日の午前三時頃まで続いた。この間の七月一〇日夜、麻酔器とチユーブ挿管による人工呼吸はレスピレーター(人工呼吸器)に切り変えられ、亡勝美は病室に移された。

(10) 七月一一日になつて亡勝美の痙攣も一先ず止まり、散大していた瞳孔は縮少し、午後一時頃には一旦ほぼ正常大となり対光反射も出現したが、午後四時頃になつて再び散大し、対光反射も消失した。なお、その翌日頃、亡勝美のチユーブによる気管内挿管は気管支切開に変えられ、同月一三日には病院長杉島一郎の依頼により京都国立病院麻酔科部長石井奏医師が亡勝美の診断をしたが、既に施すべき術もなく、亡勝美は前記状態のまま日を送るうち、両側性、出血性、化膿性肺炎を併発し、これが直接の原因となつて同女は同月二四日午後一時頃死亡した。

〈証拠省略〉には、前記心臓マツサージを開始して三分位して心臓が動き出したが、これは石川医師の来る前であつた旨の供述があり(なおその供述は前後の脈絡から推して、同人はそこで、以後聴診器による追跡に切り換え、マツサージの手は離した趣旨に理解できる。)一方〈証拠省略〉によるも、心臓鼓動開始を何時の頃か心電図に現われたのをみて知つたというだけで、その瞬間を確認した者はなく(心電図記録紙は証拠に提出されていない)、〈証拠省略〉が存するのみであるが、右は、〈証拠省略〉中、自分が入室したときから後も被告反田が心臓マツサージを続けていたので、自分は人工呼吸の方へ廻つた旨の供述に照らし、たやすく措信し難く、その時的関係は前記(7)のとおりと認められる。

また、前認定(7)中、亡勝見が発した言葉に関しては、〈証拠省略〉を除いては「苦しい」と聞いた旨供述する。しかし、〈証拠省略〉は亡勝美の前側に居てその状態を一番よく観察していたと思われるので、同人の証言を採用した。

次に〈証拠省略〉には、「亡勝美の呼吸、心臓が停止するや直ちに心臓マツサージを開始すると同時に麻酔器によるマスクを使用して酸素を吸入させた」として、心臓マツサージの開始と酸素マスクの開始の前後につき前認定(7)に反する部分があるが、〈証拠省略〉(カルテ)は、被告反田が作成者であるから、法廷における同人の供述自体がその点では前認定に沿うものである以上、その記載は右認定を覆えすに足らない。なお〈証拠省略〉の記載は、その性質上明らかに〈証拠省略〉の記載をそのまま採用したものと考えられる。

他に〈証拠省略〉中前認定と矛盾する部分は、いずれも相互に他の証拠に照らし、たやすく措信できず、他に前認定を覆えすに足る証拠はない。

(二)  亡勝美の解剖所見

〈証拠省略〉によると、亡勝美の解剖所見は次のとおりである。

(1) まず肉眼開検所見では左側頭葉下面前極部、右側頭葉下面、脳脚、脳橋および延髄にくも膜下出血があり、更に、頸髄においても上部から下部までくも膜下出血があり、その出血は下方に進み第四胸髄の高さにまで及んでいる。

(2) 顕微鏡所見においては大腿部頂葉、海馬回部、脳幹部、小脳、脳橋、延髄、頸髄には出血、壊死、高度のうつ血あふいは軟化がみられる。

(3) 頸椎部分には第七頸椎の高さまで硬膜外出血がみられる。

(4) 項部、第一胸椎の後面上縁の上左方四糎のところに蛋刺大淡赤紫色変色部一個、その左方〇・四糎のところにそれよりやや小さいもの一個、更にその上右方一・五糎のところに一個の変色部があるが、拡大鏡検査によるも注射針痕か否かの判定はできない。

(ロ) 頸椎後面第五頸椎の棘突起起始部の左方〇・四糎のところに骨膜に上下〇・八糎、幅〇・六糎暗赤色の出血一個が、また第五、六頸椎の左側の横突起間靱帯に蛋刺大の注射痕二個がある。

(ハ) 拡大鏡で見た限りでは硬膜に穿孔はみられない。

なお、右(4)(ハ)の認定は、〈証拠省略〉が証言の際、その当時、拡大鏡で見た限りであると供述したところによつたものであるが、同証言は〈証拠省略〉の作成前になされ、その証言中には顕微鏡所見はなお検査中である旨の供述があるので、〈証拠省略〉の記載は、その後の顕微鏡検査を経た上での判断によるものではないかということが間題となる。しかし、〈証拠省略〉は、その証言の際閲覧を許されたメモに基づいて、これとほとんど同一内容に記載されていると認められるところ、〈証拠省略〉の顕微鏡検査の項中、頸髄部の標本に関しては、「硬膜に出血が認められる」との記載はあるが、更めて穿孔の有無を鏡検した旨の記載はなく、その「出血」も引用の写真では肉眼でも諒解し得るものであることに徴し、〈証拠省略〉中「硬膜に穿孔は認められない」との記載も、前掲証言後に更に顕微鏡検査を経た上のものではないと認められる。

(三)  神経ブロツクとしての頸部硬膜外麻酔注射と全脊麻発生の危険性

〈証拠省略〉を総合すると、次の事実が認められる。

(1) 神経ブロツクとしての頸部硬膜外麻酔注射は脊椎から出ている神経の根元部分が硬膜外腔を通るので、そこに麻酔剤を入れて、治療個所の神経に一時的な麻酔作用を加えて疼痛、冷え、痺れ等を押え、これを数回くり返えすことによつて症状を緩和、軽減させ、それを通じて本来の治療によい影響を与える目的をもつた治療手段で、いわゆる鞭打症に対してもその有効性は認められており、昭和四〇年頃から、後記2(三)の条件を備えた医師病院間においては一般的に用いられていた。そして、本件事故当時の昭和四四年頃は、その使用麻酔剤は滲透力の強いキシロカインが主に使われており、その使用濃度はほぼ一%内、使用量は五ないし二〇CCの範囲で、医師において症状、治療部位等に応じ適宜選択していた。

なお、右注射の際麻酔剤と併用して用いられるステロイドホルモン(リンデロン等)は局部の炎症を静める効果のためのもので後記全脊麻との関係はない。

(2) ところで、右硬膜外麻酔注射は脊椎の骨の間を探つて黄靱帯と硬膜との間の幅一ないし三ミリメートル(人によつてはくつついている場合もある)の硬膜外腔に針を入れて麻酔剤を注入するもので、右外腔に針先が入つた時点でこれをうまく止めないで誤つて硬膜を破ると、硬膜と次のくも膜との間が極めて狭く、しかもくも膜は非常に薄いので続けてくも膜をも突き破る虞れがあり、あるいはくも膜自体に針が突き刺さらなくとも、硬膜内腔に注射液が注入されるのでその圧のためくも膜が破れる可能性があつて、いずれもくも膜下腔に麻酔剤が入り、左記(4)の全脊麻を惹起する危険性がある。

(3) そこで、これを防止するため、後記のように、麻酔医の間では、針先が硬膜外腔に入つたと思つても直ちに注射液を全部注入せず、試験量を注入して、硬膜ないしくも膜を破つていないことを確めることが鉄則とされ、更に昭和四四年頃からは、黄靱帯を突き破つた感覚が判り易いよう針先が鈍になつている翼状針(硬麻針)が使用される様になつており、また注射の部位も第七頸椎と第一胸椎間がより無難であるとされていた。

(4) 全脊麻の原因と症状

頸部硬膜外麻酔注射の際、誤つて硬膜ないしくも膜を突き破つて局所麻酔剤をくも膜下腔に注入すると、頸部脊髄付近から出ている呼吸筋あるいは横隔膜等の呼吸に関係する神経および第四脊椎付近の下部付近から出ている左右上肢の神経が麻痺され、更に、麻酔剤の比重が脳脊髄に比し軽い為、麻酔剤が上昇して呼吸中枢を司どるいわゆる脳幹部をも麻痺させる。そのため先ず呼吸麻痺が生じて呼吸が停止し、それとともに意識不明、脱力感をも生ぜしめ、時として血圧が非常に低下して循環不全を起こし心臓も停止する。これが全脊麻といわれるものであり、患者の体質とは関係なく、くも膜下腔に麻酔剤が入つた場合にのみ発生する。

なお、右症状の発現速度は、麻痺の仕方如何即ち麻酔剤の刺入部位、液量、濃度、注入速度、硬膜ないしくも膜の突き方の程度如何等によつて異なり、〈証拠省略〉の見解も細部に至るまで一致するものではないが、少くとも、後記被告ら主張のアナフラキシーシヨツクに対し、先ず呼吸麻痺が起り、次いで直ちに脱力感が生ずるのが麻酔剤が硬膜下腔に入つた場合のシヨツク症状の特徴とする点では一致している。

(四)  被告ら主張のアナフラキシーシヨツクの一般的把握

弁論の全趣旨によると、本件シヨツクがいわゆるアナフラキシーシヨツクであるとの被告らの主張は、より広く、結局本件シヨツクが前記全脊麻でない、他の薬物シヨツクによることをも請わんとしているやにも解せられるのである。しかして、〈証拠省略〉を総合すると、右広義の薬物シヨツクの中には、以下(1)ないし(7)に検討するいわゆるアナフラキシーシヨツクと、(8)に判示する狭義の薬物シヨツクのほか、薬物中毒というものもあることが認められるが、右薬物中毒は、注射液が血管に入つたため生ずるもので、直ちに激しい痙攣を伴うことが一大特色であり、その点で前認定の亡勝美の症状と明白に異る(前認定(一)(9)の様に相当時間経過後の痙攣は、シヨツクそれ自体が痙攣性のものであることに依るものでなく、本件シヨツクに伴う脳障害に起因する後発症状であることは〈証拠省略〉の一致した見解である)から、右狭義の中毒については、検討の対象から除外する。

さて、〈証拠省略〉を総合すると、いわゆるアナフラキシーシヨツクについては次のとおり認められ、これに反する証拠はない。

(1) いわゆるアナフラキシーシヨツクが何かについては定義づけを統一できるまでに全てが解明されているわけではないが、一応、心臓、末梢血管、毛細血管のアレルギー症状の総和であつて、アレルゲンの投与によつてヒスタミンとか、ブラデイキニンとかの物質が遊離し、これが末梢血管に作用して起るシヨツクと考えられ、それは急速に出現し、しかも重篤な全身症状をきたすアレルギー反応で、その背後に抗原抗体反応のある場合をいうとされ、そのシヨツク構造は、化学的媒介物を介して、初めに末梢血管の循環障害が起こり、心臓への静脈血還流が減り、その結果急性心送血量減少を起こすことによる、とされる。

(2) その病態生理は気管支、血管、腸管などの平滑筋収縮と毛細血管透過亢進の二要素に帰することが出来、動物の種類が同じであれば一般に抗原の種類が異つても症状が変らないのが常である。そして一般的には肺気腫と肝および腸管のうつ血が見られることが多く、とくに重篤な場合に後者が多い。

(3) すべての薬剤はアナフラキシーシヨツクを起こす可能性をもつているが、抗原性からみると、

(い) 高分子化合物-蛋白性ホルモン等で、そのままの形で免疫され、シヨツクの頻度が高い。

(ろ) 低分子薬剤-常用剤の多くはこのようなものであり、シヨツクを起こす機序は、生体内の蛋白と結合して抗原性を生ずるものと考えられている。

の二つに分類でき、(ろ)の例としてはいわゆるペニシリンシヨツクがある。

(4) その発現は薬液量に関係なく、発現時間は注射針を抜いたすぐ(場合によつては注射中)から遅くともせいぜい一五ないし二〇分以内に生ずる。

その症状は、末梢血管の循環不全のため血圧が急速に低下し、そのため、全身蒼白となり、やがてチアノーゼを来すほか、呼吸も止まる。心臓は停止する場合もあり、微弱にぴくぴくと動き続けていることもある。これらとともに虚脱状態にたることも少くないが、それは急激にではなく、通常の場合、それらに続き、相当の時間を経た後である。(もつとも、極めてシヨツクが激しい場合には、前記反応と同時に生ずることもあり得る。)

ちなみに、発生頻度の高いペニシリンアナフラキシーシヨツクの臨床例は別表のとおりである。

(5) 剖検所見では肝気腫、肝うつ血、腸管および脾うつ血、喉頭浮腫などが著しいことが多い。

(6) ところで、アナフラキシーシヨツクは、本来が抗原抗体反応である為、理論的には、まず何かがあつて感作して抗原が入つて抗体が出来、それから抗原抗体反応が起こる筈である(従つて、例えば一度目の注射で抗体が出来、二度目の注射の時にシヨツクが起きる)が、キシロカインあるいはペニシリンを含め、いわゆる注射シヨツクといわれるものの現実の発症例では、その大部分は一回目の注射の時に生じ、二度目の注射で生ずるのは極めて稀である。一度目で生ずる場合抗体が何なのか、何によつて感作されているのかは未だ十分には解明されていない為、これを抗原抗体反応としてのアナフラキシーシヨツク(以下狭義のアナフラキシーシヨツクという)と区別して、アナフラキシー様反応あるいは重症即時型薬物反応という人もある(以下これを含んでアナフラキシーシヨツクという)。従つて、キシロカイン注射によつて右のアナフラキシー様反応が起きる場合は、通常、二、三回目にではなく初回に起きると考えられており、従つてまた、以前に当該注射を射つて異常のなかつた患者に対しては、次からの注射は非常に安心してすることが出来るとされている。

(7) なお、理論的にはキシロカインによつても狭義のアナフラキシーシヨツクが生ずることも考えられるが、臨床例としてその発生が確認されたものはない。

(8) また、薬剤投与後に起こる非アレルギー性の全身反応で、アナフラキシーシヨツクと類似の臨床症状を呈する場合として、次のものがある。

(い) 副作用が誇張された場合等の薬物自体の毒性が誇張された場合。

(ろ) 胸腺リンパ体質等の特異体質の場合。

(は) ヒスタミン遊離現像。

(に) ヘルツクスハイマー(Herxheimer)反応。

(ほ) その他、注射の疼痛に過度に反応した一次シヨツクや不純物の混入による場合等。

以上のとおり認められる。

(五)  本件についての判断

(1) 全脊麻と認められることについて。

以上(一)ないし(四)によれば

(イ) 本件注射は一%キシロカイン一〇CC+生食水五CC(+リンデロン二・五mg)の混和液を第五、六頸椎間から注入する頸部硬膜外麻酔注射で全脊麻を惹起する危険性が高い注射であること、

(ロ) 本件シヨツクの発生症状は先ず呼吸困難の訴えがあつたと認められるところ、それは全脊麻の一つの特徴であること、

(ハ) 同じく、次いで直ちに脱力感がおそつているが、これもその徴候の一つと認められていること、

(ニ) 使用針がルンバール針であつて、翼状針(硬麻針)の使用に比して全脊麻の危険性が高いこと、

(ホ) 本件注射に際して、試験量注入が行われることなくなされているため、少くとも全脊麻でないとは言い切れないこと、

(ヘ) 解剖所見中、「硬膜に穿孔を認めない」というのは前記のとおり顕微鏡所見ではないと認められるところ、本件注射は針先の鋭利なルンバール針が用いられているため、その様な鋭利な針の場合硬膜を突いても、血管あるいは繊維を切断していないかぎり、その痕跡は見分け難く(〈証拠省略〉)、更に亡勝見は本件注射後二週間は生存していたのだから、その間に注射痕が消失しなかつたとは断じ難く、解剖所見からも注射針が硬膜を突き破つたことを否定できず、他に突き破らなかつたとする資料(後記アナフラキシーに関するものを除く)はない。

この点、現に前掲解剖所見中、注射痕に関する部分は、それを注射痕と断定できるかどうかにも疑問が提されているものもあり、また、それらがすべて注射痕として、果して本件注射のときのものなのか、たまたま前二回のうちの一つが残つていたのかも不明で、それ自体注射痕の消失ないしはこれを探査できない場合のあることを示しているものとみられ、右他の注射痕が認められる点は必ずしも硬膜の注射痕が消失したと認めることの妨げとなるものではない、

以上の点に、左記(2)のとおり本件シヨツクを被告ら主張のアナフラキシーシヨツクとみるにはいくつかの消極的要素があることに加え、〈証拠省略〉によると、同証人が本件シヨツク発生の三日後に八日市病院で同女を診断し、本件シヨツク発生時の模様を関係者らから聴取した際、その麻酔医学に関する豊富な智識と経験に徴し、その時直ちに全脊麻であることの可能性を非常に強く感じたこと並びに〈証拠省略〉によると同証人も前記シヨツク直後に入室した際、全脊麻の可能性をもその疑いの一つとして抱いた点を綜合すると、当裁判所は、本件証拠調の結果の総合的心証として、高度の蓋然性をもつて本件シヨツクは全脊麻であると認定できるものと考える。

(2) いわゆるアナフラキシーシヨツクの可能性についての検討

前記のように、被告ら主張のいわゆるアナフラキシーシヨツク(薬物中毒を除く)には前記狭義のアナフラキシーシヨツク、アナフラキシー様反応、非アレルギー性全身反応が含まれるところ、

(イ) まず、臨床症状においては、前認定の亡勝美の本件シヨツク時の症状は、先ず呼吸麻痺から始まり、意識不明、手足の脱力感を来しており、前認定(四)(4)のアナフラキシーシヨツクの場合の症状よりは、同(三)(4)の全脊麻のそれにより近く、また別表のペニシリンシヨツクの臨床症状に比しても、やや異つた経過を=辿つていること、

(ロ) キシロカインによつて狭義のアナフラキシーシヨツクが生じた臨床例としては未だ確認されたものはなく、本件シヨツクがアナフラキシーシヨツクとすれば極めて稀なる事例に属することとなること、

(ハ) アナフラキシー様反応についても、亡勝美は前認定1のとおりキシロカインによる注射は部位の如何を別とすれば既に第二回目の入院以来十数回受けており、頸部に限定しても三回目であつて、若し右反応ならば既に第一回目の注射の時に生じていた筈と思われること、

(ニ) また、非アレルギー性全身反応の点についても、亡勝美は後記(a)(は)のような素因を有し、このような素因を持つ者は薬物シヨツクを起こす傾向にあることが認められるが、進んで本件シヨツクが右の非アレルギー性全身反応であるとするには、従前同種注射を数十回行なつてきたのに本件の時まで別段の異常がなかつたのに何故に本件注射によつて突如として生じたのか、更には右(ロ)の臨床症状の比較等からみてなお疑問があること(ちなみに、これまで何度かキシロカイン注射をしてきて何らの異常もなかつたため異常体質ではないと思う、とは正に被告反田自身の供述するところである。)、

を総合して考察すると、本件シヨツクが被告ら主張のアナフラキシーシヨツクであるとするについてはなお多くの疑問があつて、その可能性は前記全脊麻であるとするに比し極めて少ないと思われるのである。

尤も、

(a) 前記〈証拠省略〉によると、亡勝美の解剖所見として、

(い)前記硬膜に穿孔は見られない、とするほか、更に(ろ)脳下垂体、心臓、気管、肝、肝臓、腎臓、副腎、甲状腺、胸腺、脾臓、消化管、胸部大動脈等にも高度のうつ血がみられる、(は)心臓拡張があり、大動脈の幅はその起始部から腹部まで発育が不良で狭隘であること、淋巴節の腫大が腸間膜に見られること、副腎機能の低下があること、肝臓に脂肪変性のあることが認められる、但し、心臓および大動脈の所見以外は本件シヨツク発現以前から具有していたか否かは不明である。

との所見が見られ、且つその鑑定意見として、右(い)の所見に基づき注射方法に過誤はなかつたとしたうえ、このことと(は)の所見に基づき、心臓拡張と大動脈の発育不良の素因を持つているものは薬物シヨツクを起こし易い傾向にあるし、且つ(は)の所見の全てが本件シヨツク発現前に存在したとすれば、更に薬物シヨツクを起こし易い、との判断から、本件シヨツクはキシロカインシヨツクであるとの見解が提出されており、更に(ろ)の点が広義のアナフラキシーシヨツクの場合にみられる前記(四)(5)の剖検所見の特徴と一部合致すると思われることと併せて、本件シヨツクが全脊麻ではなく、被告ら主張の薬物シヨツクの一つであることを示す有力な根拠となるように思われる。

然しながら、右(い)の点は既に前記(1)(ヘ)に説示のとおりであり、従つて、本件注射に過誤はなかつたことを前提とする右小片鑑定意見はその重要な前提の一つに疑義があるので、直ちにこれを採用することは出来ないと言わざるをえないのである。また、(ろ)の点についても、うつ血は単に広義のアナフラキシーシヨツクの場合に発現することが多いとされるに止り、それが他と区別される唯一の特徴という訳ではなく、呼吸が停止し、心臓が停止した本件の場合にも、その発現を否定することはできないと考えられ、これが全脊麻ではなく、いわゆるアナフラキシーシヨツクであることの決め手になるとは考えられない。

(b) また〈証拠省略〉中には、右小片鑑定中にある肝臓の脂肪変性が、シヨツク素因となつたかの如き部分もあるが、それは一般的可能性の城を出す、同証言から本件について前記(1)の判断を覆えす具体的要因となすだけの確かさはない。

(c) また前認定によれば本件発症時、亡勝美の顔面が蒼白となつていたし、血圧もかなり早く低下したことが認められ、これらは全脊麻よりもアナフラキシーシヨツク症例の特徴に一応符合する。しかし、それらの症状も前記のとおり全脊麻のときにも生じないものではないのであり、前認定の様に先ず呼吸困難という全脊麻の特徴が認められる本件においては、これも前判断を左右する要因とするに足りない。

(d) なお、〈証拠省略〉中には、本件シヨツクを薬物シヨツクと判定するかの如き部分が存するが、右は被告の代理人が認識した亡勝美の症状に基づいて述べられたものであり、そこには右呼吸停止の点は大きく取り上げられていないのであるから、右判定はたやすく採用し難く、当裁判所としては、前記のとおり、事件発生後間もない生々しい時点で、直接亡勝美の状態も観察した上での前記〈証拠省略〉の判定意見こそより信依すべきものとせざるを得ないのである。

2  頸部硬膜外麻酔注射における事前事後の注意事項

〈証拠省略〉を総合すると以下(一)の(1)ないし(3)、(二)の(1)(2)、(三)に認定の各事実が認められ、被告反田の供述中これに反する部分はたやすく措信し難く、他に(一)(4)に説示するほか、これを覆えすに足る証拠はない。

(一)  施術上の注意事項

(1) 前記1(三)(2)の如く、注射針が硬膜ないしくも膜を突き破れば、髄液ないし血液の逆流によつてそのことを知りうる場合もあるが、他方突き破つた程度が極くわずかである場合あるいは針先が蓋をされるような状態になつた場合には髄液ないし血液の逆流がないこともあつて、静脈注射の様に血液が逆流するからわかるといつたものではない為、結局施術者の針先が黄靱帯を破つた時の感覚と、硬膜外腔が陰圧になつている為そこに針先が入つた時注射器筒内の空気が抵抗なく入つて行く感覚とに頼らなければならないこととなり、術者の技術的な修練が必要とされている。また、右のような危険があるため注射中は、絶えず患者の顔色、呼吸等に注意しその状態を看視していることが必要である。

(2) そこで、右のような危険を避ける為、右治療法導入の当初から、施術者において、針先が一応硬膜外腔に入つたと思つても、直ちに注射液を注入することは避け、その段階で予め試験量を注入し、その様子を見て針先が硬膜ないしくも膜を破つていないか否かを確認しなければならない(破つていれば、麻痺が生ずる)とされており、このことは右施術を行う医師の間において鉄則となつている。更に、注射の針先も、本件の事故当時の昭和四四年頃において麻酔医の間では、針先が鋭いため黄靱帯を突き破つた時の感覚が判りにくく、且つ硬膜を傷つけ易いルンバール針は余り使用されず、殆どの場合、黄靱帯を突き破つた感覚が判り易いように針先が鈍になつている通常翼状針ないし硬麻針といわれる注射針が使用されていた。また、注射の部位も、比較的判り易い第七頸椎と第一胸椎の間から刺入されることが多いが、医師によつては症状に応じ、もう少し上位から刺入することもあるが、それだけ技術的に難しくなるとも言われている。

(3) また被告らは、針先が硬膜外腔に入つたか否かは黄靱帯を突き破つたか否かの感覚もさることながら、硬膜外腔が陰圧となつている為そこに針先が入つた時の感覚が決め手であるから、どの注射針を使うかは医師の選択の問題にすぎないと主張し、これに沿うものとして(イ)「ルンバール針でも硬膜外腔に入ると、そこが陰圧のため空気がすつと入つて外腔に針先の入つたことがすぐわかる」旨の被告反田の供述があり、また、同〈証拠省略〉中には、注入部位を第五、六頸椎間とし、硬麻針以外の針と思われる針先の鋭利な注射針を使つて図示しであるが、(イ)の点については、〈証拠省略〉によると、そのように、空気が入つたと感じた瞬間にピタリとそこで針先を止めることは非常にむづかしいということであるから、ルンバール針の使用そのものを直ちにとがめ得ないにしても、これを使用する際は、硬麻針の使用に比してより一層の注意が要求されるのであつて、硬麻針の使用の方がより望ましい措置であつたとする前認定に影響を及ぼすものではないし、(ロ)の点も、右〈証拠省略〉によると、右図の原図は昭和四〇年より以前に作成されたものであるというのであるから、本件事故当時の医療水準を前提とする前認定を左右するに足りない。

(二)  全脊麻の緊急事後措置

(1) 全脊麻の場合の治療の要点は、一般に注射シヨツクといわれるものと同様、その症状発生直後の脳死を防ぐことにある。即ち、全脊麻が発生して呼吸が停止すると新たな酸素の補給がないため、呼吸停止後三ないし五分(平均四分といわれる)その状態が続くと脳死、いわゆる脳の新皮質は壊死してしまうため、右時間内に出来るだけ早く酸素を補給してやることが要求される。

(2) ところで、酸素を補給するための手段としては人工呼吸があり、これは医療に携わる者にとつて必要最少限度の技術の一つであるが、昭和四四年頃においては、全脊麻あるいは薬物シヨツクが発生した場合等に備え、右酸素補給を組織的に行う技術として蘇生術のA、B、C、Dといわれる方法が医師、殊に麻酔医あるいは頸部硬膜外注射を行う医師の間で知られていた。右のAとはニアーウエイ、気道確保のこと、Bとはブリーズ、人工呼吸のこと、Cとは心臓が停止している場合の心臓マツサージのこと、Dとはドラツグ、薬のことを指し、この順序で緊急措置を行なうのである。

(三)  両者共通の必要準備措置

右注射は、前記のように技術的に難しく且つ危険を伴うので、右注射をする場合には、当該医師においてそれだけの注射技術を身につけていることと、万が一全脊麻の症状を惹起した場合あるいは局所麻酔剤による注射シヨツクを招来した場合、直ちに緊急蘇生の為の措置をとる必要があるため、それをなしうるだけの技術とそのための人的物的設備をも備えていることが必要とされているため、右注射は一般の開業医の間では余り行なわず、いわゆる総合病院等において行なわれている。

3  被告反田の過失の存否

(一)  被告反田の経験

被告反田の施術前後の措置は前記1(一)に認定のとおりであるが、〈証拠省略〉によると左の事実が認められ、これに反する証拠はない。

(1) 被告反田は、これまで主として整形外科を専門としてきたが、厚生年金湯河原整形病院に勤務していた昭和三九年から同四二年頃までの間、東京虎の門病院麻酔科に週一回の割で一年半通つて麻酔について学んだ他、八日市病院に勤務し出した後の昭和四三年一〇月頃から本件事故後の同四四年九、一〇月頃にかけて週一回大阪医科大学麻酔科ペインクリニツクにて頸部硬膜外麻酔の方法、胸椎に対する措置、全身麻酔の方法、その他急救措置等麻酔学一般についての講義を聞いていた。そして、同被告は本件事故後、二、三ケ月間前記国立京都病院の麻酔科部長石井医師のもとに通つて緊急蘇生術の方法および全身麻酔の方法につき指導を受けている。

(2) キシロカインによる腰椎部、胸椎部に対する硬膜外注射については一〇〇回以上の経験を有していたが、頸部硬膜外麻酔注射は亡勝美に対するのが初めてであつた。また同被告は本件事故のような医療事故の経験は初めてであり、立会看護婦の東郷、辻村、大塚らも同様であつた。

(二)  注射方法の過失

前記のとおり本件シヨツクが全脊麻であると認められるからには、本件注射に際し、その針が硬膜を破つたと推認されるべきところ、被告反田は前認定(一)の経験知識に徴し、当然上記認定の全脊麻発生の抽象的危険性はこれを認識していたと認められるところ、前記1(一)に認定した様に、針先の鋭利なルンパール針を用いていたのであるから、常にそのことに注意を払い、単に針が硬膜外に留つていることの確認を、前記注射器筒の空気が抵抗なく入つたことを感触によつて確めたことのみに止めず、前記施術者間の鉄則とされていた試験量の注入をなすべきであつたのであり、これを怠たつて、引続き直ちに注射液を注入し続けたため、注射針が誤つて硬膜を突いており、注射液が前記1(三)の(2)に認定した様な経路でくも膜下腔に注入されるに至ることを早期に感得してこれを防止する機会を失い、遂に本件全脊麻の症状を惹起せしめたものと認められ、まずその点に施術上の過失あるものと認めざるを得ない。

なお、原告らは本件注射の注入速度についても過失があつた旨主張するが、本件全証拠によるもこれを認めるに足る証拠はない。

(三)  緊急事後措置上の過失

(1) 死亡結果避止の可能性の有無

前認定のように全脊麻が発生した場合は、呼吸停止後遅くとも四分以内に人工呼吸-心蔵が停止したときは更に心臓マツサージ-をして脳へ酸素を補給して脳死を防止すれば、常に死の結果を招来するものではないところ、本件においても、前出〈証拠省略〉によると、亡勝美の死因は、直接には前記1(一)の(10)に認定の長期の意識不明中に併発した両側性、出血性、化膿性肺炎であるが、右長期意識不明を招いたのは、本件シヨツク発生に伴い脳および頸髄に至る部分に血液循環の多量の減少又は停止が三ないし五分以上に及んだことによつて、その神経系に壊死、献化崩壊をもたらしたことに因り、「若し右時間内に血液循環を充分に再開せしめ得たならば、これらを防ぎ得たかも知れない」と鑑定されているのである。

(2) しかして、その点につき、前記1(一)の(7)ないし(9)に認定したところによると、被告反田は、亡勝美が息苦しさを訴えた後、これをあおむけにして暫く観察した後顔を叩き脈を見るなどした後聴診器でかすかな心音を聴き、辻村看護婦にカルニゲン注射の指示を与えた後に、東郷婦長が取り出して来た酸素マスクを着装してそのバツク操作を始め、その後暫らくしてから聴診器により心音のないことに気ずき、バツク操作もそこそこに、心臓マツサージにとりかかつたのであり、そして被告反田の供述によればそれから三分位して鼓動が始まつたというのであるが、その鼓動再開の時機は前認定のとおり石川医師が来室した後のことであつたと認められるのである。

そうすると、前記鑑定に指摘された三ないし五分以上の循環不全は、既にシヨツク(呼吸停止)とともに、心音が微弱となつた時から始まつていたとも考えられるが、これを最少限心停止のときと考えると、それは、前記被告反田が始めに聴診器によりかすかな心音を確認した時から、バツク操作開始後に再び聴診器で心音停止を確認した時迄の間のことであると認められるのである。

しかして、右心停止の時機が何時かをより具体的に捉えることは困難であるが、〈証拠省略〉によると、呼吸停止後右酸素吸入の操作開始までには、まず東郷婦長が、注射後亡勝美の足元の方へ移動していた位置から、前記同女の急変に気づいて枕元から二、三米の位置に置いである吸入器のところまで行つて、これを枕元まで引いて来て、両名でマスクを固定し、次いで被告反田においてマスクにチユーブをはめ、酸素ボンベの栓をひねつて酸素流量を調節してから開始されたというのであるから、その間一分を超える時間はかかつていたであろうし、かくて、前後の時間を加えれば、被告反田がバツク操作開始後、再び聴診器により(バツク操作で片手がふさがつているから看護婦に聴診器を自分の耳に当てさせたという)心音停止を確認し、マツサージを開始するまでには相当の時間が経過していたと認められるから、仮に被告反田の供述どおり心鼓動の再開がマツサージ開始後三分であつたとしても、それに先立つ相当前に既に心停止があつて、前記三ないし五分以上の循環不全を招いてしまつたと認められ、前鑑定結果に符合するのである。

その様に見てくると、本件においても心臓マツサージがもつと早期に、即ち最も早くは酸素吸入の措置と相前後して(その時点でも既に心音は極めて微弱で、やがて停止に至る可能性は極めて大であつた)、遅くとも心停止と同時に開始されていれば、脳死を防止し得た可能性はこれを否定できないところ、前記被告反田が心臓マツサージを開始した時機はこれに遅れていたものと認めざるを得ない。しかして、それは、同人において前認定の如く、石川医師の来援を求める点においても、自らというよりは、東郷婦長の示唆によつて始めてなされたとみられる点や前記措置のほか、他にこれといつたものもないなど、事態の急変に驚き、適切な判断を欠いたと見られなくもないこと、若しくは、後記の様に医師、看護婦間に事前に緊急時の役割についての充分な打合せがなされていて、それに基づいた措置がとられたとは必ずしも認め難いことなどにもよるとも思われるが、より直接的には心臓マツサージを酸素吸入と同時になさなかつたに拘らず被告反田が酸素吸入の着装と操作に自らも携わり、その間ずつと心音の停止の有無を聴診器により追求し続けることを中断したことにもよるものと認められるのである。

而して上記脳への酸素補給が最大の緊要事であり、被告反田も前記知識、経験からこのことは認識していたと認められるので、この際、被告反田としては右早くに心臓マツサージを開始しないならば、単に酸素マスクの操作をするだけでなく、心臓の停止の有無を着視し続け、停止したら直ちにマツサージを開始できる様、右心停止時機の早期把握に心掛けるべきであつたのであり、少くともこれを逸した点において、同人には過失が存したものと認めざるを得ない。

(3) もつとも、被告反田にしてみれば、その点は補助者の不足等から自ら酸素吸入に廻らねばならなかつたためであり、この点に過失を捉えられるのは心外であるというかも知れないが、そこを言うならば、かえつて、前記程度の経験で、全脊麻発生の危険性のある本件注射を施術するに当つては、例えば麻酔の知識も相当に有する石川医師など少くとも他に医師一名の立会をあらかじめ求めるか、そうでなければ医師、看護婦間で、緊急時の役割を充分打合せた上で施術にのぞみ、右の如く主治医自らが一人二役を努めなくても済む態勢を整えた上でなすべきであつたのであり、事=蚊に出なかつたこと自体そこに病院側の一般的管理体制の問題として考えるべき点が含まれるにせよ、なおそれで施術に踏み切つた主治医としての責任を問われても止むを得たいと思われるのである。

なお、右事前の打合せが必ずしも十分でなかつたことは、被告反田は前記心臓マツサージを開始するに際し、バツク操作を東郷婦長に委ねたと供述するに拘らず、〈証拠省略〉では、その点確認されず、他に本件証拠上、石川医師によるチユーブ挿管が行われるまでの間、誰がバツク操作をしていたのか、はたまたバツク操作が続けられていたのかどうかも把握し難いなど、の点からも、事前に緊急時の役割りの打合せが充分になされていて、それに基づいた措置がとられたとは、とうてい認められないのである。

四  被告らの責任

以上のとおり、本件シヨツクは全脊麻であり、その発生とその緊急事後措置とに関し、被告反田に上記医療上の過失が認められるところ、前記二および三の1(一)(10)と〈証拠省略〉とによれば、これと亡勝美の死亡との間に相当因果関係の存することは明らかである。而して、被告反田は被告国の経営する八日市病院に勤務する国家公務員であることは前記一のとおり当事者間に争いがなく、本件事故が、被告反田が同病院における医療業務を執行する過程において同被告の過失に基づき生じたものであることは前記三認定のとおりであるから、被告反田は民法七〇九条により、被告国は同法七一五条一項により、それぞれ不法行為責任として本件事故により生じた損害を賠償する義務があると言うべきである。

五  損害

1  亡勝美の損害

(一)  逸失利益

〈証拠省略〉を総合すると次の事実が認められ、他にこれを覆えすに足る証拠はない。

亡勝美は、本件事故当時満二四年一一月余の独身女性で、中学校卒業後松下電器株式会社に就職し、昭和四二年原告らと共に現住所に転居してからは小泉製麻株式会社に一カ月位勤務し、その間に前記鞭打症となつたが、その後も新日本電機株式会社を経て、昭和四四年五月六日から株式会社名神八日市カントリー倶楽部にキヤデイーとして勤務し、同年六月一七日までに四万五、五〇二円の給与の支給を受けた他、お客から貫うチツプ等の収入があつた。なお、同女は同年一一月、調理士をしていた原告泰蔵の弟子と結婚すること、その場合同人は原告らと養子縁組をしたうえ、ゆくゆくは原告泰蔵のする仕出業を手伝い、亡勝美もキヤデイーを辞めて父および夫の仕事を手伝うことが予定されていた。

右認定事実によると、亡勝美は本件事故に遭遇しなければ、結婚前においては、少なくとも月三万一、七四五円を下らない収入を上げ得たと認められるし、結婚後においても家事労働に従事する傍ら原告泰蔵および夫の仕出業を手伝う等して働くことが予想され、そのことの不確実性と同女が当時鞭打症であつたことを考慮しても、従前の経緯に照らせば、その労働の評価は少なくとも前記同様の月三万一、七四五円を下らない額に相当するものと推認される。

ところで、当裁判所に顕著な昭和四四年度の簡易生命表によると亡勝美の平均余命は約五一年と認められるので、少なくとも爾後三五年間は稼働可能であつたと認められ、その間の生活費は経験則上収入の五〇%とみて妨げない。

そこで、年別ホフマン複式計算方法によつて年五分の中間利息を控除すると、亡勝美の逸失利益の死亡時現価額は三七九万三、六六七円となる。

(計算式)

3万1,745(円)×0.5×12(月)×19.9174 = 379万3,667(円) (円未満切捨て)

(二)  慰籍料

前記(一)掲記の各証拠によると、亡勝美は原告らの間の唯一人の子供で本件事故の発端ともなつた鞭打症を除いては健康な女性で、原告らは既に老年のため、亡勝美はその収入の大部分を原告らとの生活費に入れていたところ間もなく結婚して新しい人生に歩み出し、それも婿を迎え家業を継いで貫つて両親を安堵させようとしていた矢先に本件事故に遭遇したもので、これからという人生を閉ざされただけでなく、老年の原告らを残して先立つことの精神的苦痛は多大であつたと認められる。しかも、亡勝美は本件注射に若干の不安を覚えながらも被告反田の言とその医療技術を全面的に信頼し、その全てを委ねていたに拘らず、前記三認定の如く未だ十分の伎倆と経験を有しないのに危険な方法で施術されて本件シヨツクを生じしめられ、シヨツク発生後は、斯様な施術を行なう医師にとつて最少限必要な緊急蘇生術を十分駆使されなかつたため、十分蘇生できる可能性があつたに拘らずその時期を失つし、為に二週間もの間いわば植物人間的状態に置かれた後死亡せしめられたものでその精神的、肉体的苦痛は甚大であると推察され、これを慰籍すべき額は四〇〇万円を下らないと認められる。

2  原告らの損害

(一)  慰籍料

前認定の如く、亡勝美は原告らの間の唯一の、しかも親孝行な子供で結婚を間近に控え、その将来を楽しみとしていたところ、亡勝美に先立たれ、老後の唯一の楽しみを失つたもので、しかもそれが前記の如く信頼を置いた医師の過失によるものであるなど、原告らの精神的苦痛は察つするに余りあり、〈証拠省略〉によると原告らは病院からの連絡を受けた後は病院に泊り込み殆ど眠らず食事もろくにとらず、ひたすら意識不明のまま眠り続ける亡勝美の安否を気遣つていたことも認められ、前認定の本件事故態様、その他諸般の事情に亡勝美の慰籍料を相続することを考慮すると、原告らの蒙つた精神的苦痛を慰籍すべき額は各一五〇万円をもつて相当と認ある。

(二)  弁護士費用

弁論の全趣旨によれば、原告らは法律の素人であるため弁護士である本件原告ら訴訟代理人に本訴の提起追行を委任し、その着手金、報酬金として計二〇〇万円(原告らの債務は分割債務)の支払を約した事実が認められるが、本件事案の内容、難易、審理の経過、前記認容額、その他諸般の事情に鑑みると、うち被告らに対し、本件事故と相当因果関係にある損害として賠償せしむべき額は一五〇万円(原告ら各七五万円ずつ)を以つて相当と認める。

3  相続

〈証拠省略〉によると、原告らは亡勝美の父母で、その他に相続人のいないことが認められるから、原告らは亡勝美の前記1の損害賠償請求権を相続により各二分の一ずつ承継取得したというべきである。

六  被告国に対する債務不履行に基づく損害賠償請求について

原告らは、被告国に対しては、前記不法行為(民七一五条)に基づく損害賠償請求と選択的に併合して債務不履行に基づく損害賠償請求をしているが、前記のとおり、不法行為に基づく損害賠償請求が一部認容できるところ、不法行為に基づく損害賠償請求によらず、債務不履行に基づく損害賠償請求によるときは、前認定の損害と異る範囲の損害が別個に生ずる旨の主張、立証はないので、この点につき更に判断を加える必要を見ない。

七  結び

以上の次第であるから、被告ら各自は、原告ら各自に対し、それぞれ五1の合計七七九万三、六六七円の二分の一(円未満切捨)と2の合計二二五万円との合計である六一四万六、八三三円と内弁護士費用を除く部分に対する本件不法行為の後である昭和四四年八月三一日から支払ずみに至るまで民法所定の年五分の割合による遅延損害金の支払義務があり、原告らの本訴請求は右の限度で理由があるからこれを認容し、その余は失当として棄却することとし、訴訟費用の負担につき、民事訴訟法八九条、九二条、九三条、仮執行の宣言につき同法一九六条をそれぞれ適用し、なお、被告らから担保を条件とする仮執行免脱の宣言の申立がなされているが、相当でないのでこれを付さないこととし、主文のとおり判決する。

(裁判官 潮久郎 笠井達也 田中亮一)

別表〈省略〉

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